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自己暗示のメリット・デメリット

nseの独り言
741Hz、感染症の浄化と毒素の溶解、オーラクレンズ、ブースト免疫システム、瞑想

私は、自己暗示法を得た。といっても、自己流だけど(^-^;

自己暗示を掛けるタイミングは、思い出したくないことを思い出したとき。これがとても重要。

音楽などを消し静かな空間で、楽な姿勢をとり、目を閉じて深呼吸する。

このとき、息を全部吐き出すように長くする。

呼吸リズムが整って来たら、息を吐き出すときに心の中で「深~く、深~く、落ちていく。意識の奥深く、落ちていく。私は大丈夫。」と繰り返し何度も唱える。

唱える言葉は、多少違っていても大丈夫。
潜在意識の更に奥深くに落ちてゆく…私は大丈夫…という感じの言葉でいい。

言葉を唱えながら、下腹部の奥深くを意識しながらだと感覚を掴みやすいかも?

しばらくすると、呼吸が止まるような感覚が訪れる。

これで、自己暗示は終了。

さっきまで思い出していたことを意識しなくなる。

最初のうちは、失敗します。
一瞬だけ封印されるけど、目を開けるとすぐに思い出してしまう。
そしたら、最初からもう一度やり直す。
これを何度も何度も繰り返すうち、本当に封印されます。

自己暗示のメリットは言うまでもなく、辛い記憶から自分の心や激しい動機などから守ってくれること。

デメリットは・・・
記憶の封印=顕在意識では忘れている状態は、ときに周りを困惑させることがあるということ。

私が自己暗示の必要性を感じたのは、旦那を見送って1年ほど経ってから。
旦那が搬送された病院に到着したとき、まだ救急車が搬入口にいて中には旦那の荷物が入ってた。
それが私の意識に強く残っていたため、救急車に過敏に反応してしまい、運転中でも当時のことを鮮明に思い出し、涙で前が見えにくくなるほどだった。
意識も、記憶の再現が優先されるため、運転に支障が出てしまった。
ブレーキを踏むのが遅れたのだ。
幸い追突事故にならなかったけど、これはマジでヤバい。

救急車が起爆剤の一つになっていることが分かり、記憶の一部分、救急車で旦那が搬送された部分を封印する必要があった。

だけど、在宅時なら自己暗示を掛けられるけど、運転中はそうはいかない。
サイレンが聞こえて来たら、「私は大丈夫!何も聞こえない。思い出さない。」とつぶやきながら、車を路肩に止めるとか、コンビニに入るとか、そんな手しかなかった。
それでも何とかなってたけど、車の運転は極力控えるようになった。

ところが、問題が起きた。
ある日、家の前に救急車が止まった!
お向いさんの旦那さんがケガをして、救急車を呼んだとのことだった。
幸いケガは大したことがなく命に別状はなかったが、私の心は混乱状態になり、その場に居られず家に入った。

鮮明な記憶の再現が引き起こすもの・・・かなりヤバい。

自己暗示を掛けた。
そして、家の前に救急車がきたことを封印した。

1週間後、お向いの奥さまとガーデニングの話をしていたときのこと。
「この間はごめんね、ビックリしたでしょう」と。
私は、何にビックリしたのか分からないまま、「いいよ~、気にしてないから(^^) ゆりの球根の品種だけど、カサブランカかロリポップのどっちか見分けが付かないの。それでもいい?(^-^;」と返した。
そのときの奥さまの表情が、、、困惑したような感じだったけど、そのときはそれで終わった。
でも、私は気になっていた。
あの表情はなに?なにかトンチンカンなことを言ったのか??(^-^;
考えたけど分からず、でも頭から離れなかった。
3日ほどして、ようやく救急車のことだとやっと思い出した!
しまった!だとしたら、確かにとんでもなくトンチンカンなことを言ったよ~!(>_<)

お見舞いの品を持って、お向いの奥さまに話に行き、事情を説明して謝罪した。
実は奥さまも、あのときの私の言動が少しおかしいと感じていたそう。
事情を理解し誤解が解けたあと、涙目になって私に「大切な人を失う辛さは私も良く分かる。辛いことを思い出させて、ごめんね。」って・・・違うのに、私に謝る必要なんてないのに。
謝らないといけないのは私だけ。
自分が辛いことから逃げたせいで、こうして関係ない人にまで嫌な思いをさせてしまった。
これが、自己暗示がもたらすデメリット。

救急車だけでなく、日常生活の至る所に起爆剤が存在する。しかもいつ爆発するか?分からない。
だけどもう旦那に関することで、自己暗示は使えない。使ってはいけない。
自己暗示を使ってもいいのは、甘い物を我慢する時とかそんなことだけ・・・

だけど、現実的に救急車には対応しないと、冗談抜きでまずい。
いろいろ調べても、有効な手が見つからない。
で、ふっと思いついた。ホントに、不意にね。
救急車のサイレンが聞こえて来たら、深く呼吸しながら祈りの言葉を実際に声に出して唱えることにした。

「どうか助かりますように。私や旦那のように、悲しく辛い思いをしませんように。どうか助かりますように。」

サイレンが聞こえなくなるまで、この祈りの言葉を何度も何度も唱える。
最初は、ぐいぐし泣きながらだった(^-^;
それでも、唱え続けた。自分のために。
1年ほどしたとき、泣かなくなっていた。そして、本当に祈っていた。
その救急車に乗っている人が助かるようにって・・・
2年ほどしたとき、祈りと一緒に感謝もするようになった。
「その救急車を通すために、道を譲ってくれてありがとう」と。

当時、旦那も救急車のお世話になった。
そして、最後のあの会話した数分間という時間を私たちに与えてくれたのは、救急車を通すために道を譲ってくれた全てのドライバーさんたちのお陰だと思ってる。
勿論、救命士の人達も。

今でも祈りと感謝を唱えているけど、もう大丈夫(^^)
ときどき、涙目になるときがあるけど、もうあんなに動揺することはない。

きっと、旦那がこの方法を教えてくれたんだ。
少なくても、私はそう信じている(^-^)

いくら逃げたって、どうせ逃げられない。逃げるのを止めさえすれば、楽になる。自分以外の誰かになろうとしてもなれはしない。元いた場所に戻るだけ。

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